スプリング・エフェメラル

春になったばかりの頃、鍛錬場では足元に小さな花がわっと咲きます。
可憐で、よく見るといろいろな種類があって、あちこちにきらきらと輝いています。

あ、なんてきれいなんだ。これは本当のお花畑だ、誰かに見せたい。
そう思うのですが、その花たちはすぐに消えてしまうのです。

植えた覚えのない花たちが、こんなふうに出現する不思議。
夢の世界のようです。

あとから知ったのですが、あの花々はスプリングエフェメラル、「春の妖精」と呼ばれるんですって。
まあなんと美しい、そしてぴったりな呼び名だと感心しました。

春の妖精・カタクリ

さて、私たちはカンフーを学ぶのに、中国語で書かれた言葉を手本としていますね。
それがなければカンフーは到底学べません。

でも仮に、言語としてその手本を解読でき、そこに示されたカンフーの形をなぞることができても、それだけではまだ足りません。

言葉と形のあいだに心を挟まなければ、カンフーの力の流れに「酔う」こともできないし、「知道」「明白」の瞬間に広がる限りない世界を見ることもできないのです。

たとえば、マーブーと聞けば、それがどの形か皆さんならすぐ分かりますね。
馬歩と書いた漢字を見れば、「馬にまたがった形なんだな」と分かるかもしれません。

だけどそれで終わりにしないで、更に「マーブー」と心を込めて呼びかけてみると、この漢字がとてもどっしりと、安定感を放っていることにも気づくはずです。
マーブーで少しつつかれただけでぐらつくようでは、「馬歩」が伝える本当の形をまだつかめていないことが分かります。

心で漢字を読むとは、こんな様なことです。

ゴンブーという言葉は、確かに弓を引く形かもしれません。
でも、この「ゴン」という音そのものに、ピンと張った力が込められています。

この言葉を言うたびに、あるいは聞くたびに心がピンと張るのです。

だとしたら、ゴンブーの後ろ脚が緩んでいたり、前足の筋肉が張って見えなければ、どこか違和感を覚えるはずです。

こうして手本を読み、形と心をつなげていくうちに、きっと心が「酔っていく」のでしょう。

春の花、黄色い福寿草


カンフーに限らず、音楽でも、ほかの学びでも、何かを深く学ぶということは、人生で「酔い心地」を得ることなのかもしれません。
どの岸から、どんな船で旅立ったとしても、学ぶ人たちは広い海を進み、やがて同じ境地で出会うのだと思います。

カンフーの場合その旅に必要なのは、先人の残した漢字、それを慈しんで読み解く心、そしてそこから体現される形です。

先生は、ただ「春の妖精」と呼ばれる花を図鑑で見ても、単に知識を得て終わっていたと思います。
でも先に、一瞬で消える花々の妙を実際に感じていました。

そこに心があったのです。

だから「春の妖精」という言葉を知った時、花が突然現れる意味も、たちまち消えゆく意味も、みんな隠れるように低く咲くわけも、全部わかった気がしたのです。
言葉と形、そして心がひとつに重なった瞬間です。

わたしたちがカンフーの手本について学ぶ時も、こんな感覚になれたら上出来です。

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