明鏡止水
精神を定め、曇りない眼差しと心でいることは、カンフーをやる私たちにとって究極の目標です。
そしてそれは、おそらく他のどの芸事でも同じはずです。
そのためには、日々の稽古だけでなく、日常のあらゆる場面で先を見通す習慣が必要かもしれません。
先日、先生は、はなちゃんが怖がらずに水浴びできるお皿を選ぼうと、右へ左へ水を移しているうちに、テーブルの上のお盆に水を満々に張ってしまいました。
長辺50cmほどの、大きな長方形のお盆です。
これを片付けようとして、重大な問題に気づきました。
台所までの距離は4m、どうやって運べばいいのか。
この事態を予測できなかった。それが、この時の先生の見通しの甘さです。
どうにかお盆を持ちあげて、はじめの2mほどは集中力と筋力でなんとか運べました。
しかし、あと2mというところで、先生は一歩も動けなくなったのです。
原因は主に心理的なものでした。
右手が震えると水面は左へ。
左手がこれに反応すると、もっと大きな波が右へ。
この原因と結果の往復を目の当たりにし、心が乱れ、制御を失いました。
止めようとするほど水面は揺れ体勢も崩れ、ついに虚歩双挿掌のポーズで固まってしまいました。
固まること50秒。
「何やってるの、貸しなさい」ここに、ふいに助っ人が登場したのです。
杜の都から来た、黒髪が美しい桔梗姉さんです。
この姉さんは囲碁が六段の腕前、さっきまで向こうで棋譜と対峙していたのが、先生を見かねて来てくれたようです。
囲碁といえば、何手先までも読むのが当たり前の世界でしょう。
盤上に宇宙を見るというほどですから。
先生は“神様仏様”と思ってお盆を託しました。
ところが。
「…あら? あら? これ難しいわねっ!!」
桔梗姉さんは、一歩も動けずその場でくの字になり、固まってしまいました。
こ、これはまさかの事態。
数手先どころか、次の一手すら読めていないではありませんか。

見るからに水がこぼれそうなそのお盆に、また先生が手を出したのが運の尽き。
囲碁とカンフー四本の手で支える水のバランスは、調和するどころか一層複雑になり、それっきりふたりともお盆から全く手が離せなくなったのです。
本当ですよ。
なんでも経験した方がいいので、疑う子は今すぐ平たいお盆いっぱいに水を注いで試してみて下さい。
もし近くに兄弟か誰かいたら、二人でやってみてください。
(まあ十中八九おかあさんに怒られますから、先生にやれと言われたと言ってはいけませんよ)
こういう状況を日本語では「にっちもさっちもいかない」といいますね。
違う角度から言うと「船頭多くして船山に上る」ともいえそうです。
一言でいうなら「絶体絶命」でしょうか。
ええ、ですから——
今日は、明鏡止水という境地にたどり着くには、普段の修練に加え日々の暮らしの中でも少し先を読み、考えながら行動することが大切なのだ、というありがたいお話なのでした。


