918ですがね

日本人だと言っても信じてもらえないくらいでしたし、周りの中国の人たちから、とても温かく守ってもらっていましたから、先生は向こうでは居心地よく過ごしていました。

それでも、いつも誰かといるというわけにはいかないし、一人で知らない場所にいて、たまたま日本人だと知られた時に、いきなり石を投げられたことがあります。

北京ではツアーガイドに、一日中「日本の鬼」と呼ばれていました。

先生は中国語が分からないと思われていたのでしょう。
人間は目の前の人をそんなふうに卑下して呼ぶことができるのかと驚きましたし、といって言い返せず、柔らかい痛みがずっと続くような気持ちでした。

戦争の爪痕ということですね。

しかしながら、日本にいても何かうまくできないと、「ほら、あの人やっぱり中国の関係だから」と言われたりします。


さて、私たちはどうすればいいんでしょうね?
どちらの側に立って、どちらを大切にするべきなのでしょうか?

それとも、自分は“どちらか一方に立っているんだ“と思う事自体が、苦しみの源なのでしょうか?

最近は私たちの秦野にも、ずいぶん多くの外国の人が移住してきています。
目を見るだけでは心の内が読めないような、本当に遠い国の人も大勢やって来ています。

皆さんは武術を通して異文化に触れているわけですし、地元にいても国際化された時代を生きている子たちです。

これからの私たちの明日を、どのようにすればもっと幸せにできるのか、
ぜひ考えてみてください。

そして答えが見つかれば、先生に教えてくださいね。

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