しゃましゃーぶだー

皆さんは捨てられないものが何かありますか?

先生はカンフーの師丈が笛の奏者だったので、中国から戻る時に竹笛を頂戴しました。

物というのは不思議で、一つ何かを手に入れると、我も我もと勝手に同じ仲間が集結し始めたりしませんか?

たとえば昨日桃を一箱買ったら、今日友人からまた一箱届いたとか、

中古のお皿を一枚買ったら、次々と古いお皿が流れてくるようになったとか。

木になった美しい桃の実

あれ以来、先生の所に笛が集まり始めました。
(大陸の人は、形見に笛をくれるのかもしれません)

今先生の引き出しには、全部で五支の授かりものの笛があります。
皆さんも持っている、学校のリコーダーと合わせると、八つです。

それを先生は捨てられません。
吹けないのに捨てられません。
今は指の腱が切れているので、この先も吹けないでしょう。


この場合の「捨てられない」ですが、中国語で言うと
“しゃーぶだー”です。

“ぶーのん、れんでぃあお”ではありません。

手離したくない心がそこにあるかないかで、表現が変わるのです。

”しゃーぶだー”は日本語なら、「惜しい」という言葉になるかもしれません。
「手放し難し」とか「忍びない」でもいいです。

何かを大切にする美しい意味がありますが、状況に逆らった未練を表すこともあります。これはどちらも、何かに自分の心がくっついて、離れることを良しとできない様子です。



“しゃましゃーぶだー”という言い方は、そんなふうにくっついている気持ちなんかないと、潔さをちょっとカッコよく主張する時に使えます。

潔く手離す心を持つことは、長い人生で自分を守る事になります。
皆さんは武術を学んでいますから、この心はあったほうがいいと先生は思います。

それは難しい事かも知れませんが。

暑いけれど、もう秋ですね。
先生は笛をまた引き出しにしまいました。

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